繋がりってなんだか面白いなあ〜。
ツイッターが出来た当初にアカウントを作り、今ひとつその使い方や、活用の仕方が見えずそのまま数年放置していた。
そんなツイッターが、ここ数日で、本来のツイッターがあるべき姿(底力)をかいま見れた気がし、なんだかこのSNSって面白いかもと思い始めた。
ここ最近、爆発的に広がりを見せるツイッター。
爆発し始めると、ビジネスをもくろんで我も我もとよく解らずに参入してくるユーザーが増え、その根底にある底力までたどり着く前に「なんだこんなもんか」と見切りをつけてその熱は急速に冷めてゆく(正にセカンドライフがまさにそうだったよね)。
ここ最近、ツイッターをビジネスに活用すべく指南書などが色々で回ってきているようだが、果たしてそれで本当にビジネスになるとでも思っているんだろうか?
俺的に、ここ数日で、ツイッターの本質が見えてきた。
「ツイッターはビジネスでは使えない。
しかし、ビジネスの一端を担うことは可能」
ということが。
どういう意味か?
ツイッターって1対複数(フォロワー)と考えられ、つぶやきがその瞬間に、多数の人に届くと考えられている。
しかし、それはある意味間違った定義だと言うことに気が付いた。
確かに、TL(タイムライン上)で一つのつぶやきが多数の人に届くのだが、そのつぶやきの内容に対して「全く興味がない人」にとっては、そのつぶやきは「無いのと同じ」ということ。
すなわち、見かけ上は「1対多」なのだが、実はそうではない。
では、つぶやきをいかに「1対多」に対して共有をすることが出来るのか。
それは、そのつぶやきが「リアルである」ということ。
営業トークで「これいいですよ〜〜〜」何て発言は意味を持たない。
「一つの情報」としては成立するが、それ以上の何物でもないということ。
一番酷いのが「ボット」と言われる、人工知能?的な、勝手に語尾を拾ってツイートを投稿するシステム。
これってツイッターの意味全くないじゃん。
その瞬間に、その人が感じたことをつぶやくからこそツイッターは成立する。
それをロボットにさせては全く意味がない。
ツイッターは、ネットという特殊な空間を介した「リアルコミュニケーションの場」ということ。
顔こそ付き合わしていないけれど、そこに流れる言葉は「リアルであるべき」ということ。
それに気が付いたのが、昨日からのツイッターのツイート。
事の発端は「沖ギス」。(笑
俺自身が本気で美味しい!と感じ、それを親しい友人達と共有したいと思い「残暑見舞い」として、送り届けたところから始まる。
沖ギスを送った友人の一人である「さとなお」さんのつぶやきから全てが始まる。
「satonao310 間人(たいざ)より秋の風物詩「沖キス」到着。いまから塩焼きする。うまそう! 送ってくれた@ENGIN9に感謝!」
このつぶやきに、
「jnmrs 間人(たいざ)をTLで見るとは。。 RT @satonao310 間人(たいざ)より秋の風物詩「沖キス」到着。いまから塩焼きする。うまそう! 送ってくれた@ENGIN9に感謝!」
や
「kiyopoo 超美味しそう!私も慌てて@ENGIN9さんをフォローしました。住所お伝えしましょうか?www RT @satonao310う! 送ってくれた@ENGIN9に感謝!」
といったフォローが付き
@ kiyopooさんが俺のフォロワーに。kiyopooさんのツイートに反応を返していると
「Kinakonohara @ENGIN9 美味しそうな呟きで思わずフォロー!」とだんだん、その輪が広がってゆく。
ここで大切なのは、俺自身が本当に「沖ギス」が「美味しい」そしてそれを「多くの人に知って欲しい」と思っていること。
たかが、文字だけだけど、そこにはリアルな気持ちが見え隠れしてくる。
顔こそ見えないが、本当に興味を示して反応を返してくれているのを感じ取ることが出来る。
その結果、「おぉ、次々に貴重な情報ありがとうございます。たまに京都出張があるので、足を延ばして年内に間人へ行きたい!」などネットという架空の空間から「現実的行動」へと思考がシフトしてゆく。
その結果、実際に「沖ギス」を注文したいんだけどどうすれば注文できますか?」という話に移行して行った。
大切なことは「本当の言葉をつぶやいている」ということ。
ビジネスの為の言葉には奥がなく。そんな言葉では人は動かない。
今、働いている「ユナイテッドスタイル(@usstore)」でも、ツイッターでつぶやいている。
これは「事実を伝える。」というという意味で、その日ネットストアーに入荷した商品をそのままツイートしている。
それは「買って下さい!」でもなく「この商品良いですよ!」でもなく、ただ単に「この商品が追加されました」という事実を伝達しているだけ。
俺の中で、ユナイテッドスタイルのツイートはこれで良いと思っている。
そのつぶやき(商品)に興味がある人は、実際にネットストアーにアクセスし、気に入れば「購入」という行動に移ると思う。その為に「追加した」という事実をつぶやいている。
しかし、それ以上の情報はこのつぶやきからは感じ取ることが出来ず、全ては「興味がある人」の判断にゆだねられる。
もちろん「沖ギス」の件も、最終的には「興味がある人」の判断にゆだねられる訳だが、そこに、行き着く迄に、俺自身が感じた「レビュー」が加味され、その言葉に何かを感じてもらえた結果がオーダーという結論に結びつくのだと思う。
最初にツイートして下さった「さとなお」さんに感謝。
そしてそのツイートに何かが引っかかり、反応を示してくれた方々に感謝。
今回思ったのは「これからもやっぱ俺が本当に感じたリアルな物だけをつぶやいてゆこう」ということ。それは逆に言うと、その言葉(ツイート)に自分自身が責任を持てると「事実」だと言うこと。
発言の責任を持つって、ここ最近のネット世界では遠ざかっていた様な気がする。
2chに代表される「名無し」という匿名での無責任な発言。これはやっぱリアルでは無い。
バーチャルな空間であるネットだからこそ「自分」という「リアル」をちゃんと表明し、その言葉の責任を負うことが大切なんだと。
まあ、ネット創世記といわれる時代からネットをいじって来ている俺。
ネットの表も裏も見てきた。
そんな俺だからこそ、声を大にして言う。
「自分の発言は、自分自身のアイデンティティーでもある。だからこそ、自分の発言には100%責任を持ち、自分という存在を明確
にした上で発言をするべきだ」
くだらない「輩」になるのも自分次第、ネット上で存在を認められる存在になるのも自分次第。
自分のキャパを越え「背伸び」したネット上だけでしか生きられない「偽りの自分」になるくらいなら、ネット上でも「等身大」のリアルな自分で居よう。その方が「背伸び」をするより1000倍カッコイイからね〜!
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