「生きるか死ぬか」悪いけど、負け勝負は俺嫌いやねん。

足の腫れも、痛みも徐々に治まりつつあるナウ。
受傷後72時間を急性期と呼び、症状が悪化(進行)をする。72時間をピークに、今度は徐々に落ち着き始める。
急性期の対応としては「冷やす」が一番の特効で、冷やすことで進行のスピード(拡大)を抑制し何もせずに72時間を迎えるのと、冷やして72時間を迎えるのでは、ピーク点が違ってくる。

72時間を超えると今度は「治癒」の傾向に向かうため、それを促進するために「暖め」てやり、今度は逆に進行のスピードを加速させてやる。

医者に処方してもらった「湿布」のおかげもあってか、痛みはだいぶ無くなり、今日は杖が無くても歩行が可能。でもビッコを引いてるけどね。
今も、アイスで足を冷やしている。
まだ少し「腫れ」が残っていて、これこそが「進行」をしている証拠。その進行を少しでも落とすために「冷やし」ている。

今回の負傷は、俺の中では「良し」。もちろん致命的な「負傷」は絶対に避けなければ全く意味は無い、でも、今回程度の負傷は、俺の中ではある意味「許容範囲」。
「怪我をしたのになぜ?」って?

今回の負傷は、微妙な。ほんとコンマ何秒かの間合いを踏み込みすぎた俺の責任だから。
でも、これくらい突っ込まないと身体が覚えないんだよ。

頭の中で「ここまで何センチだから、あと何センチ行ける」とか、そんな机上の空論で、俺達がやっているギリギリの間合いは計れない。

動物的な感覚というか、空気というか、コンマ何秒かでその状況をコントロールし、ギリギリの間合いを身体が覚えないとダメなんだよね。

これからまだまだ突っ込んでゆくよ。
致命傷にならない怪我くらいで、ガンガンと。

正直に言おう。
ここの所、あまり身体を動かしていない(ダンスという意味で)、だから身体が「なまっている」。野性的なギリギリの感覚を身体に呼び起こすために。
今まで、色んな意味で「ギリギリ」の所で生きてきたじゃないか。

その、ギリギリを攻め込めなくなったら終わりだよ。
お前は、胡座(<=あぐら)をかいて、生温いところで座っていたいのか? お前の生きるところはそこじゃないだろ?そんな生温いところで生きている自分が好きなのか?? 今まで、ある意味「生きるか死ぬか」そんなギリギリの所で生きてきて、だからこそ、今の自分が存在して居るんじゃないのか? 当然さあ、年を食って反応が鈍くなってきているのはいがめない。
でもね、そのギリギリの感覚を見失うほど落ちぶれてしまったら悲しいじゃん。

18歳からダンスを始め、今41歳。18歳の時のような、脂の乗りきった20代後半の時のようなダンスを求めてはいない。でも、腰を引いた俺ほど無様な姿はない。

8月6日。
俺は誰よりも輝き、誰よりもアグレッシブに、そして、誰よりも賛美を浴びる「ダンス」を披露する。

これは名誉でも、尊敬でも、お金でもない。

俺自身のプライドのため。今まで生きてきた中で最高のパフォーマンスを追求するため。
当然、それまでの時間の中で「様々」な問題や、解決しなければならない様々な諸事情なんだかんだがあるよ。
そんな物を理由に「負け組」に成り下がる気は毛頭無い。

New York City Breakersと言う名を背負い、それ以上に、ENGIN#9と言う個名を背負い、そして、何よりも、俺自身が今ここに生きているという証を証明し、誰しもが「リアルなダンサー」だと認識するために、全てをぶつける。

俺は常に常に一つの信念を持っている。

「このステージで最後になっても良い。このステージで死んでも悔いはない。その為に、この瞬間に、全てを、今持っている全てをぶつけて勝負する」。

死んだら全てが終わり。

その通り。生きていることが大切。

ゆえに、裏を返すと「今生きていることを証明する為」にその瞬間に全てをかけるわけさ。
「生きている」というのは、ただ単に「生死」という意味ではなく「ダンスを踊り続けているか否か」と言う意味でもある。

今日、8月6日を共にする若いダンサーから電話があり。それを、改めて再認識した。

ありがとう。

そして「ゴメンね」。

このステージで主役を取るのは君だけど、俺が1番だから。

オッシャ!!!
気合い入った!!!!!!

トコトン、行くとこまで行ったろうやないか!

「ENGIN#9」。
この名前背負った以上、きっちり見せる物見せてやろうやないか。
そんじょそこらのパフォーマーじゃないで。

リアルな、パフォーマンス見せたるは。
その代わり、キッチリと俺の骨を拾う位の覚悟でかかってきいや!!


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