さて。
iPadを入手してから、4日が過ぎようとしている。
ここで、俺的なiPadの所感というか、実感をまとめて置こうと思う。
世間一般に多数の「所感」色々な角度から語られている。
技術的な観点や、評論家的な観点、それこそ、その人それぞれの立場や経験等々から多種多様様々な意見が出ている。
ここでは、あくまでも「ENGIN#9」的な一個人の意見として捉えていただきたい。
また「誰かに対して」と言うよりも「未来の俺に対して」の健忘録的な感じ。
まず、iPadを入手するまでは、iPod Touch第2世代を使用していた俺。
それまでのiPod(クリックホイル式)とは大きく路線が代わり、タッチパネルで全ての操作を行い、基本全ての入出力や管理を専用のドッグを介してUSBでパソコンと接続し、その一元管理をiTuneが行うという、ある種とてもクローズドな環境下で全てを完結させている。
音楽CDや映像などは、まだその中においても自由度は高いにしろ、iPod Touchで駆動するアプリ(iApp)はiTune内の専用のストアーのみからの入手となり、価格競争や値崩れが無く、顧客からすれば、そこでしか入手が出来ないため、他の選択肢がない状態。
しかし、そのアプリの価格は非常に低価格に設定され、購買にいたる意欲を損なうことなく、爆発的な本数のiAppが販売され続けている。
その延長線上に「iPhone」の存在が付加され、そのシェアーは大きく広がった。
これは一般のユーザーの教育の一環であったのだろうと思う。
「こういう状況下でアプリは買う物なんですよ」と言うのを、知らず知らず(あまり意識をせずに)のうちに洗脳し、ビジネスモデルに慣れさせていった。
実際、iPod Touchの機動性は素晴らしく、手のひらの上で大半の物事が完結してしまう。もちろん、パソコン上で行わなくては出来ないような、特殊な作業は別としてね。
iPadの発売が公表され、俺的には「iPod Touchの大きくなった版」という認識でしかなかった。
もちろん細かな観点で切り崩してゆくと、さまざまな違いは当然あるが、大きな意味でだ。
普段「ネットPC」を持ち歩き、気軽に必要なときに「iPod Touch」でメールをチェックし、簡単な調べ物もネットブラウジングでこなしてしまうiPod Touchは本当に身近で便利なアイテムとなっていた。
その為、図体のデカイiPadには正直心は揺らいでいなかった。
正確には、俺の生活サイクルの中で必要性がなかった。
新しい物好きである俺個人としては、触ってみたい、使ってみたいという探求心はもちろんあったが、あの値段を個人で出してまでの購買意欲には達しなかった。
総合的に、俺は「iPad否定派」の部類に属していた。
そんな俺が、たまたま、タイミングが重なりiPadを入手する運びとなり、今なお「予約」をして順番を待つ人が多くいる状況の中で、飛び込みでWiFiモデルの32GBをゲットできたのは、ほんとタイミングがガチ合ったからだろう。
現在、iPadとiPod Touchという、画面サイズの違いだけで、基本的なコンセプトが同じ物を所有している身として、純粋に感じることは、それぞれに「一長一短」があると言うことだ。
当然と言えば当然なのだが、その多くはハード的な部分に関する物。
一番最初、iPadを持ったときの感想は「重い」だった。このB5サイズのハードにしては軽いのだろうが、実際操作をする場合、手に持って行う事が多くなるiPadはこの「重さ」がネックになってくる。
また、機動性の弱さも気になるところではある。
現在使用している「ネットPC」はSOTECのB5ノート。iPadは薄さこそ、比較にならないほど薄く(約1/3位かな)、重量もiPadの方が軽い。
しかし、実際に使用するとき、ネットPCは卓上に置いてキーボードを打ち操作をするため「重量」を気にすることはない。
そして、当然機動性(持ち運び)は、何かしらの「カバン」などに入れて持ち運ぶ。この「当然」という先入観が心理的にもiPadの評価を下げる要因であることに間違いはない。
それに引き替えiPod Touchは、必要なときはサッと持ち上げ、ポケットに放り込んで外に出かけ、必要なとき、ポケットからスッと出して起動して使用できるという機動性は抜群なわけだ。
iPod Touchは手のひらにのり、片手だけで殆どの作業を完結することができる。
携帯電話を使い慣れている日本人に取っては、このアクセスビリティーの高さは、容易に受け入れることが出来、全く違和感を感じないだろう。
それに比べ、iPadは片手で操作は非常に難しい。サイズも大きく重量もあるため、片手で本体を固定し、反対の手(指)で画面を操作する。
しかし、当然の事ながら画面が大きいため、入力するためのキーボードや、タッチをするボタン一つ一つまでが大きく、非常にストレス無く、操作性は抜群に上がっている。
iPod Touchは画面が小さいので、その分、誤動作(誤タッチ)が非常に多く、ストレスを感じる瞬間が多いのは事実だ。
iPhoneではなくiPod Touchを使用している俺は、当然の事ながら外で使用する際は、WiFiスポットが必要となり、iPhoneの様に「いつでもどこでも」ネット経由のアクセスが出来ない。
その為に、それまで持っていたSoftBankのアカウントを解約し、E Mobileのアカウントを開け、Pocket WiFiなる、モバイルWiFi環境を構築した。
これにより、iPhoneに劣っていた、外でのアクセスをカバーしたわけだ。
実際新幹線の中でもネット環境を確立し、必要なときに情報を引き出せるようになった。
このPocket WiFiのおかげで、iPadも3Gのモデルではなく、WiFiのモデルで俺にとっては十分だった。しかし、残念なことに、WiFiモデルのiPadにはGPSの機能が付いておらず、屋外での正確な位置情報の入手が出来ないのが残念。
しかしだ。ではiPadとはどういうときに、どういう環境で向き合うのか。これによって「短」の部分の評価が大きく揺らいでゆくことになる。
ここ数日間「完全な野外」でのiPadの使用という状況は生まれることはなかった。
主として、自宅と会社内で使用をし、その双方に、無線LANの電波が飛び、ネットへのアクセスにストレスを感じることはなかった。
移動中はもっぱら源チャリなので、その間にiPadにアクセスは不可能だし、仮に自動車移動でも、ナビは付いているので、地図情報へのアクセスも必要なく、逆にそれに特化したナビの方が優位なのだ。
今日、iPad用にスタンドを入手したのだが、それまで、使用する際は手に持ち、使用しないときは机上にドカッと無駄なスペースを浪費していたiPad。
正直そこに、腑甲斐感を覚えていたのは事実で、それ故に、iPadへのアクセスの頻度が低かったのも事実。
しかし、このスタンドを入手し、iPadの存在価値というか、ある種の機動性、操作性が見えた気がした。
iPadはモバイル機器でありながら、実は「ネットPC」の進化系と考えれば多くの問題点が一気にクリヤーされる事に気が付いた。
スタンドに立てかけ、フェイスを常に自分に向けているiPadは正に「キーボードの無いネットPC」。
そして、そこへのアクセスは画面をタッチするだけ、その様相は、その昔SF映画に出て来た近未来の宇宙船を操作するコントロールの様。
このスタンドを付けるだけで、iPadの操作性、アクセスビリティーは数段跳ね上がる。
これによって、モバイル機としてのiPadと、iPadが持つ本来の性能を両立させる事が可能となり、iPadの存在価値を一気に飛躍させる。
iPadの話題の中で良く出てくるのが「マルチタスク」が導入されていない事への悲痛な叫び。
実際に、iPadを使用してみて、その必要性を微塵も感じないのは俺だけなのだろうか?
iPadを使用(操作)していないとき、当然iPadの画面は真っ暗。しかし、これは決して電源が落ちているわけではなく、いわゆる「スリープ」状態。
ホームボタン一発で瞬時に起動。ロックを外すとその瞬間からiAppへのアクセスが可能となる。
メールをチェックし、ホーム一発でメニューに戻り、次の瞬間に「Safari」へアクセス。この起動の早さがあるにもかかわらず「マルチタスク」を必要とする状況が考えにくい。
パソコンの場合、アプリの起動にそれなりの時間を要するため「マルチタスク」という考え方は理解できるが、iPadのiAppの場合、その起動時間がほぼ皆無に近いため、シングルタスクでありつつも、マルチタスクが成立している。
現実的に、スリープ状態でも、常に「メール」の受信を行っていたり、iPod(音楽)を再生中に、他のアプリへ移動しても、音楽は再生し続けられる。
これこそ「マルチタスク」である。
俺的に、このシングルタスクである事へのストレスは全くなく。逆にアプリの起動のスムーズさに驚き、思考の妨げが無い、このアクセスビリティーには驚愕である。
iPod Touchiユーザーであり、iPadを使う自身として言えることは、iPad Touchは音楽プレイヤーであり「移動中(電車やバスなど)」のモバイルデバイスで、しかも、片手(手のひら)の中で全てを完結させることの出来るアクセス&操作性重視のハンドモバイル機。
それに対してiPadは、ヘビーな作業を行うメインマシンの横に鎮座するサブマシーン。
流石にiPadのあの重さを考えると歩きながら使用したいとは思わない。しかし、カフェやオフィスなどでチョット情報収集の際には大きく活躍する。
Mac => IPad => iPod Touch
という関係式が成立するのではないだろうか。
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