「狂言」やら「能」やらのビデオを見まくっている…。
それは一体なぜなのか….。内容は詳しくはまだ書けない。
でも、大量の映像を見ていて、一つ確実に言えることは、野村萬斎など「プロ」の舞と、地元の「保存会」と呼ばれる人達の舞では、ウンデンの差があるということ(笑
やっぱねえ、気迫が違う。これ大事やね。
一つ一つの動きに重みが感じられるのさ。
俺達がやっている「ストリートダンス」も同じ。
ストリートダンスやから「軽い」のではなく、その踊る人間、踊っている人間が「何を背負って踊っているか」なんだよね。
形を真似するだけなら、時間さえかければ誰にだって出来ること。
大切なのは「心」なんだよね。
今、色んな意味で「新たな挑戦」をしようとしている。
多分、頭の凝り固まった人間達からは、あるいみ「バッシング」それもかなり強烈なのが飛んでくる可能性がある。
特に「伝統」や「格式」を重んじている人達から。
俺は、それはそれで良いと思っている。
その道を貫くのは並大抵ではないと思うから。それは十分にリスペクトに値する。
でも、それを感じ、自分なりに理解をし、その上で生まれてくる「新しい形」というのが必ずあり、それを「異」と唱えるのは容易なこと。
肝心なのは、それを、「ちゃんと評価する目(心)」を持つことだと思う。
俺は今、ある意味「自己解釈」と「過大理解」そして、新たな融合から生まれる物に頭を悩ましている。
俺の中で方向性は見いだせてきているのだが、それをいかに形にするか。
形にならなければ、それは全く意味がないわけだからね。
やっぱねえ、人は「土を触り」そこから得た物に対して「感謝」をし、その感動を五感で感じ、命ある物を犠牲にして今の己があることを理解し、その全てに対して敬意を払い、感動するべきだとつくづく感じる。
それは、そこに当然の様にあるのではなく、そこにある為に、多くの犠牲と、多くの努力があることを理解してね。
自分で畑をやるようになり、スーパーに並んでいる「野菜」の見方が変わったもんね(笑
先日とあるTV番組で「最近の子供は『手が出ない』」というのをやっていた。
何かというと、自分が転けそうになったときに「とっさに手が出ない」らしい。すなわち「自己防衛能力」が低下しているということ。
それは、子供が「外で遊ばなくなった」為で、自分で擦り傷を作り、痛い思いをしていないのさ。
おかしな世の中だよ。
自分の身を自分で守る能力が備わってない。
全て親が悪い。
学校が悪いんじゃない。親が「過保護」過ぎるんだよ。
子供は、泥まみれになって外で遊んでくればいい。
見えばっかで高い服着させて、上品なのが子供じゃない。
擦り傷つくって、鼻垂らしてるくらいの方がよっぽど子供らしい。
これからの社会を生き抜くには「自己生命力」と「自己防衛力」がポイントだよ。(基本、どちらも本来「本能」なんだけどね….)
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