MEDIA

過去に紹介された雑誌などのアーカイブです。

映像メディア

TV・映画など、動画のアーカイブです。

New York View / WABC TV

アメリカの3大ネットワークABCテレビ、週末の人気番組「NewYork View」に取り上げられた際の映像。

SLEEPY HEADS / インディペンデント映画

ENGIN#9の映画初出演作品。

アメリカのインディペンデント映画祭「SANDANCE」正式出展作品。

熱中ホビー百科 / NHK

紙メディア

朝日新聞 / 国際衛星版 「サウス・ブロンクスで踊る ヒップホップ・ダンス」

1997年1月1日の朝日新聞 国際衛星版に掲載された記事です。

 

B-ing / 小石でもダイヤになれる街、NY 努力すれば夢は必ず手に入れる

 

-記載原文-

16歳のときヒップホップを知ってからずっと、好きで踊り続けてきた。仕事は舞台照明やビデオのディレクターをやってきたけど、あるプロダンサーとの出会いがきっかけで、好きなダンスを仕事にしようと思ったんです。

「みんなはオレを見にきてるんだ」とその人がいうのを聞いて、はたと自分のダンスはだれが見ているんだろうと考えた。

ヒップホップの生まれた街で、本物のダンスを知るために、その後、まもなくニューヨークへ飛んでいました。

ニューヨークで暮らし始めて間もないころ、黒人のストリートダンスチーム「Bronx Breeze Team」に入りました。今はぼくもメンバーの一人ですが、初対面のときに踊って見せたら「Trash(くず)!」っていわれて。悔しくて、とにかく練習しましたね。

チームの仲間として認めてもらえたのは半年ほどたってからでした。でも、ストリートパフォーマンスをやっても、一晩で10ドルほどにしかならないし、タバコも買えないくらいに生活は苦しかったです。 ニュージャージーとマンハッタンのダンススクールで生徒を教えながら、日本人向けコミュニティー紙に記事を書いたり、映像プロダクションのドライバーのアルバイトをしたり、いろんな仕事をやってきていますけど、それがきっかけでテレビの仕事が入ったり、映画に出演したりと、徐々に自分の思う方向に向かっているのは確かです。

夢はかなえるもの、努力して手に入れるものです。インディペンデント映画とはいえ、ぼくに準主役の依頼がくるんですから。

ここでは小石でもダイヤになることが可能なんです。

でも、目標のないヤツが来てもつぶれるだけ。意味がないですね。 これからの自分の夢は、ダンサー・エンジンとして独り立ちすること。そして、日本にもヒップホップダンサーという職業をつくりたいです。

Dancers! / ON THE STREET

1999年発刊のダンス専門誌「Dancers!」に掲載(寄稿)された記事です。

 

GetOn / Street Level New York

ENGIN#9自身がオーナーデザイナーとして、デザイン・プロデュースするストリート系アパレルブランド「Street Level New York (http://www.streetlevelnewyork.com)」の紹介記事です。

 

MacPeople / 真のヒップホップをNYから日本に伝えるBad! G!

Mac専門誌に「マック使い」として紹介をされました。

 

S.O.S.

 

 

- 掲載記事原文 -

サウスブロンクス、ヒップホップが生まれ、生きている街、グラフィティーがいっぱいに描きなぐられたアパートの壁の前に若者たちがたむろしている。道路に置かれたカセットデッキはボリューム最大。ヒップホップのリズムに体をゆすっている。

”Yo, What’s Up?”(元気?)と声をかけ体を寄せて抱き合う。日本人ダンサー、エンジンとストリートダンサーのグループ、サウスブロンクスブリーズチームのジェイ・ディーはいつものようにあいさつを交わした。「エンジンは俺たちのファミリーだ。この街で奴を知らない者はいないよ」と、ジェイ・ディーは言う。

京都府生まれのエンジンこと藤田尚弘さん(27)がニューヨークに来たのは3年ほど前。「本格的にダンスをしたい。ニューヨークのどこかに自分の名前を刻みたい」と思い1000ドルを握りしめて片道切符でやってきた。

彼にとっては初めてのニューヨーク。2週間目にタイムズスクエアーの街頭ダンスをしているチームを見かけ、片言の英語で声をかけた。「日本から来たダンサーのエンジンだ。よろしく」彼らの反応は冷ややかだった。「ダンサーってなんだ?それならちょっと踊ってみろよ。」エンジンは待ってましたとばかりに技を披露したが一蹴されてしまった。

「ゴミだな。」これがエンジンとサウスブロンクスブリーズの初めての出会いだった。

それから彼は毎日のようにタイムズスクエアに出かけた。 彼らが話しているのを横で聞いて英語を覚え、ダンスを見続けた。アルバイトをしながら、ヒップホップのダンス教室にも通い基礎を身につけた。 エンジンはニューヨークに来るまでは、クラブに通うヒップホップ・ダンスが好きな日本の若者のひとりだった。コンピューターの専門学校を出てテレビ制作プロダクションで働いていた。

たまたま大阪のローラースケートのミュージカルがダンサーを探しており、彼が抜擢された。その時の役名が”エンジン”だった。

公演後、「本物のダンスを踊りたい。ダンスをするならニューヨークしかない」と思い、渡米した。 「ヘイ、ジャップ」から「エンジン!」と呼ばれるようになったのは半年後。金持ち日本人が物好きでやっているとしか彼らには見えなかったらしい。「タバコを切らしたから1本くれ」と言うと、「日本人のお前がなんで俺たちからタバコをもらうんだ」と真顔で言われた。金がないからと言うとしぶしぶくれたこともあった。アルバイトの日本食レストランを突然クビになり「メシを食う金が必要なんだ。一種に踊らせてくれないか」と頼んだ。これをきっかけにメンバーは彼を兄弟と見なすようになった。

初めて仲間とパフォーマンスしたとき、お客がくれた11ドル。チームで均等に分配されたそのお金は彼の宝物として大切にとってある。 チームの仲間と一緒に生活しながら、彼は多くのことを学んでいった。

エンジンは言う。「黒人ダンスは生活の中から生まれただけあって、そこにはソウルがある。日本人ダンサーは形や動きだけはうまいけど、結局は誰かのコピーだったりする。それに比べ黒人のダンスは荒削りだが、見終わった後、人々に感動を与えるものがある。」

ニューヨークは世界中からダンサーが集まってきている。ただダンスがうまいだけでは頭角を現すことができない。自分しかない何かを伝えなければいけない。彼は、「ヒップホップの音楽やダンスはニューヨークの空気、雑音や臭いがしみついている。

僕はそれに日本人としての独特のテイストをミックスさせる。それがエンジンのダンスです。」ときっぱり語った。 「エンジンは音と遊んでいる」彼の友人のダンサーは彼を評価した。

Play Boy / サウス・ブロンクス 立志伝

 

- 掲載記事原文 -

ニューヨークで最も危険な街といわれているサウスブロンクスで、「この街で奴の顔を知らない者はいない」といわれているのが、ヒップホップダンサーの”エンジン”こと、藤田尚弘だ。

たまたま大阪で行なわれたミュージカルの踊り手に選ばれ、サラリーマンをやめた。本格的にダンスをしたいと、千ドルを持ってニューヨークにやってきたのは4年前のこと。

ストリートで踊っている黒人たちにカタコトの英語で話しかけて踊ってみせたが、その場で「ゴミ」だと一蹴された。それから毎日のようにタイムズスクエアに通い、彼らの英語を聞き、ダンスを見続けた。

アルバイトをしながらダンス教室にも通い、基礎を身につけた。「ヘイ、ジャップ」から「エンジン」と呼ばれ方が変わったのは半年後。アルバイトをしていた日本食レストランをクビになり「飯を食う金がないから一緒に躍らせてくれ」と頼み込んだころからだ。彼はストリートダンサーチームの仲間として、彼らと一緒に生活し踊り始めた。

今では街を歩くと、知らない黒人までもが声をかけてくる。「自分の発してる”匂い”が黒人たちと同じだから声をかけてくるのだと思う。黒人と日本人は肌の色は違うけれど、カラードということでは同じです」普段はダンス教室で教えているが、ABCテレビの番組でも紹介され、今春公開の映画にも出演。「夢は語るものでなく、叶えるもの」と、今は黒人のダンスに日本の匂いをミックスした、自分の踊りを追求し始めている。

舞台関連・パフォーマンス

Performance at Bronx Jimmys Cafe with New York City Breakers

Street Performance in New York City

上海万博 / 英雄が愛した姫

上海国際博覧会「日本館イベントステージ」において開催された「名古屋ウィーク」のオープニングセレモニーにおいて演じた作品。
日本の伝統芸能である「三番叟」を、現代のストリートダンスで表現。

ENGIN#9は、総監督・企画・演出・出演を行った。
http://www.engin.jp/shanghi/

日本語コメディー舞台劇 「February」

New YorkのOff Off Brodway劇場にて公演を行った、日本語のコメディー劇「February」

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